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唐津・高麗 内村慎太郎

 古陶磁にあこがれて、建築設計の仕事から一躍転身して、陶芸の道に進んだ内村さん。その「古陶磁」とは、唐津、そして李朝・高麗系のうつわたちでした。
 「備前徳利に唐津のぐい呑み」という組み合わせは、数寄者に最高の組み合わせと称賛されました。李朝・高麗系のうつわは、静かな温かみ、時には、可笑しみを感じさせるものです。唐津、李朝・高麗系のうつわは、古く桃山時代の茶人によって新たな美を見いだされ、今日まで日本人の生活の中に溶け込み、賞玩されてきました。
 古陶に範をとった上で現代唐津・高麗を制作する内村さんです。
家略歴
1975
鹿児島県霧島山麓栗野町(現湧水町)にて生まれる
1995
国立鹿児島工業高等専門学校卒業後、橋梁設計の仕事をはじめるが、古陶に心惹かれやきものの道へ入る
2002
唐津焼工房・雷山房として独立
2008
工房を移し、山居窯開窯

2019
島根・田部美術館「茶の湯の造形展」入選
家作品
御所丸黒刷毛 茶盌
朝鮮唐津 盃
斑唐津 片口
黄伊羅保 盃
家紹介

内村さんの山居窯は、中国の史書でも有名な伊都国のあった糸島市雷山の山懐にあります。福岡市から車で40ー50分とさほど遠くはないのですが、高速道路を降りて南へ車をしばらく走らせて山裾に入ると豊かな自然が出迎えてくれます。

薪窯を使う作家さんの工房を初めて訪ねる時はいつもそうなのですが、「迷わずに行けるだろうか」、「時間に遅れないか」など心配が頭を巡ります。するとまもなくそうした心配を打ち消してくれるように、天然木に「山居窯」と彫り込んだ扁額の掛かった建物が我々を迎えてくれました。

 

そうして内村さんの窯を訪問してから早や9年になります。その間、折に触れてお聞きした事などを以下にご紹介いたします。

*内村さんは、陶芸の道に入られたのはどういうきっかけですか。

私は、高等専門学校を出て橋梁設計の仕事に携わっていました。その時、実はその仕事を辞めて家具職人になろうとしたことがありました。デンマークで修業してと、、。現地の専門学校に入学する手続きまでしていました。そんな時に通っていた福岡市の陶芸教室から、時間があるならアシスタントをしてもらえないかと誘われたのです。それが24歳の時でした。

アシスタントをする傍ら、九州にある唐津焼や高麗茶碗などの名品を見たりしているうちに、陶芸が好きになってしまって、デンマークへ行く気がさらさらなくなってしまいました。

やきものに本気で取り組んでみようと。

 

*唐津焼から始められたということですが、それはどうしてでしょうか?

唐津に遊びに行った時に曹源窯の小島直喜さんから「陶芸をやりたいのなら、うちに遊びにきたら?」と誘っていただいたのです。それでお言葉に甘えるかたちで週に一度ほど窯場に通って、土を作り、薪を割ったり、焼成を手伝ったりなどして唐津焼の基礎を教えてもらいました。

それは、唐津焼が私にとって一番魅力あるやきものであったからです。九州はやきものの本場といえる土地ですが、唐津の素朴なところがいいのです。部屋に飾る絵にしても同じものを掛けていると「そろそろ変えたいな。」とか「これはちょっと疲れるな」という感覚になったりします。いつも大きな感動を生むわけではないけれど、無くなったら寂しさを感じる、そんな存在の作品がいいのではないかと思っています。

・ほぼ独力で築いたという割竹式登窯、連房で部屋が三つある。窯中の上下、前後で温度差が大きく、作品のまえとうしろで焼けも変化があって面白いものが出来る。

*作品を造る上での考え方については如何でしょうか?

 

素朴な、「飽きのこないもの」に加えて、「使って育つ」ものを作りたいと思っています。茶盌というものは、手に取って使い、愛でることが出来る道具です。使うにつれて徐々に変化して育っていく、ひとつの茶碗の中にも様々な表情があってまるで小さな宇宙のように感じられます。それがたいへん魅力的なものでした。ですから作陶では、はじめから茶碗しか頭になかったといえるほどです。他の作品も全て茶碗からの派生といえますね。

茶碗については、時折美術館や古美術商などで名品を拝見する機会を頂くことがあります。名碗に共通しているのは、いづれもお茶を点てやすい形をしていることです。そうした上で、直感的に「きゅん」とする感覚をもちますね。許されるならこのまま手元に置いておきたいという、理屈ではない、ただの道具を超えた魅力を持っています。そういう「きゅん」とさせるものを作りたいと思います。

名品を数多く観て、年齢を重ねて、繰り返すことの修業の先にしかみえないものがあるのではないかと思っています。

 

*唐津から始めて、今では熊川(こもがい)、玉子手、御所丸など高麗系のやきものも多く作っておられますね。

井戸、三嶋、粉引、堅手などは見立てのものでしょうが、玉子手、斗々屋、柿の蔕などは全て注文品だろうと言われていますね。そういう意味では、唐津と高麗は似て非なるものですが、どこか同じにおいがします。

そこでもっとも心を砕かなければならないのは、「作意を出さない」ことなんです。作意を出さず、唐津のような素朴さ、安心感のある飽きのこないやきものを作ることはたいへん難しいことです。

同じように、「作意なく、素朴さを持つやきもの」を体現できているのが御本茶碗も含めた高麗茶碗ではないかと思います。

当時の陶工は、使う側ではありませんから、今でいうプロデューサーのような茶人が、「注文」していた訳で、作意なく轆轤を挽いていきますからね。

・焼き上がって、手入れされた作品の数々

*今後の方向性についてはどのようにお考えですか

自分の作りたいものを作る、そういう事ではないかと思っています。そこでの指針は「日本人の美意識」です。われわれのDNAにある美意識を信じて、それを作品に反映させることが出来たら、どんな人にも受け入れてもらえると信じたいですね。

現在は、ネットワーク社会になっていて、作家なども簡単に自分の作品を直接に、消費者や鑑賞者の眼に届けることが出来るようになっています。大きな利点ではありますが、しかしそれは、やはり実態の有る作品そのものではなく、バーチャルな世界です。私には「本物」を見極める事が難しくなってきていると感じています。言葉での作品説明には、西洋的な美術観がついてまわるように感じられます。「西洋的」を言い換えると「説明責任の必要な芸術」とでもいうような・・。本物ではないのに、そこにかっこいい言葉を貼り付けると、本物に見えてくる。そこは危ないとことだと思えます。

「飽きないやきもの」の精度を上げていくことだ第一です。しかしジレンマのようになりますが、同時にオリジナリティのあるものを作っていきたいとも思っています。いま制作の中心は、昔の名品の写しですが、それではどうしても昔のものを超えることができません。もう陶芸を始めて20年以上になりますが、古美術を観て、身体に染み付かせて、そして手を動かしてものを作る、作り続ける。その先に自分のオリジナルなものができてくるのではないかと思っています。かつての陶工たちと同じ感覚で、オリジナルを出した時には、ただアイデアでオリジナルを出したものとは違う深みが出てくるのではないかと期待しています。

以上 令和三年・2021年4月18日 誌

 

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