お知らせ

News

ならまち界隈 2021.10.23

隼神社(角振新屋町)

「隼」神社とは、なんだか格好の良い響きです。しかしあまり聞くことのない名ですね。

所在地は、飲食店・商店が多数集まる小西通りを通り、三条通りを渡ったすぐ左手に坐します。すぐ右側に「延命地蔵尊」の小堂がありますが、神仏混淆の流れのまま隼神社の境内地であるとのこと。

さて、隼神社の由緒書を読んでも、今一つピンときません。曰く:

 ご祭神は、「角振隼総別命」、「市杵島姫命」の二柱であり、朝廷の尊崇も篤かったとのこと。平安京への遷都によって遷座されたという。その後も奈良の地で祀られていたが、治承4年(1180年)平重盛の兵火に罹り炎上。

境内にあった(?)柿の木を神木として神事を執り行ってきた、、、。云々

もう少し追求してみると、Wikipediaによると春日大社の末社で「角振神・隼神」は 攘災神、つまり禍を払う神であり、江戸時代中期に著された『奈良坊目拙解』によれば次のようであると、、。

角振神は、火酢芹命の御子なり、隼神は父なり、父子二座を祀る。少祠なく、柿の大木があり、神木と号す。

「火酢芹命」は古事記では「火須勢理命」。書紀に従えば、父が瓊瓊杵尊、母が木花開耶姫で、海幸彦とのことです。

とすれば天孫の一族ということになりますね。弟が、彦火火出見尊、当然、山幸彦のことです。

これは俄然、興味深くなります。釣り針をなくした山幸彦は、海神の宮へ赴いて海神(古事記の大綿津見神)に出会い、

その娘と結婚する云々。

詳しくは、古事記・日本書紀をご覧いただくとして、結論的には、その海幸彦、火酢芹命は、山幸彦に従うことになるのですが、その末裔は、代々天皇の宮を護る「狗人」となったということです。なんと九州の「隼人」がその末裔たちであるとのことです。ここに来てやっと話が見えてきました。この説話自体、どうも九州の部族が大和天孫系部族に従うようになったことを意味しているようです。

そして、隼総神社というのは、つまり「隼」は隼人、「総」は隼人をまとめている者ということでしょう。

隼神社は、どうやら隼人の部族を束ねる者の神社で、邪悪なものを払うために祀られたということになります。

少し私の思い込みも含めてですが、、、。奈良はなんとも奥が深いです。

 

お問合せContact

ご相談・ご質問等ございましたら、
お気軽にお問合せください。

0742-31-6439
0742-31-6439

〒630-8372
奈良市西寺林町18-1